田舎暮らし 二拠点セミリタイア

田舎でシェアハウスをやる予定のセミリタイア志向の雑記です

人生のラットレースを抜けられる人

ラットレースから逃れる方法(´・ω・`)

呑み友が突然なくなってから早いもので一ヶ月が過ぎ去ってしまった。突然死だったので亡くなってからすぐの葬儀ではなかったが亡くなったと知ってから1週間、葬儀で対面してからの1週間は焦燥と無気力状態が続いた。

今さらどうしようもないから亡くなった原因をここで書くのはやめにしておこう。

散々、Twitterで言いたいことを言ってしまったということはあるのだけど少し脱線してから「人生のラットレースを抜けられる人」について1ヶ月考えたことを書こうと思う。

 

この1ヶ月あまり食欲もなかった。ぼっち呑みを2回【カウンターのもつ焼き屋と立ち飲みのおでん屋】行ったがいずれも2杯目で帰ろうかなと思ってしまい2000円も使わずに店を後にした。両方とも初めて行った店で味はまあまあ良い店であったが店員の愛想の良さが妙に気持ち悪かった。ワイは静かな店が好きなんだ。女も静かな女が好きだ。そして場所も静かな田舎が好きなのである。底辺街レッドウィングに住んでいたのに静かなところがホントは好き。レッドウィングに住んでいた理由なんてただコスパが良かっただけなんだけどね。

初めて行った店なのに愛想よくされる振舞い自体が無駄な疲弊に繋がると考えている。店員さんは気疲れしないのかな?

 

帰りの夜道は妙に涼しかった記憶がある。アルコールで哀しみを紛らわすことも出来ず

殆んど酔ってない状態で夜風が気持ちよかったのでフラフラといつものお気に入りの100円ぽっきりの自動販売機と対面するという時間が微妙に余っている人間しかやらない散歩道の極みのようなことをやって「誰でも出来る小さな達成感」に浸っていたことを今でも覚えている。

ワイは缶一択。100円と等価交換の儀式をするのが好きなのである。

逆に一番嫌いなのがコンビニでペットボトル1本だけ買う事。

かったるそうなやる気のない中年コンビニ店員、微妙にやる気がある片言の日本語のコンビニクルーを相手に清算、スイカです、ピッ!!とするのが苦手なのである。

家で飲むならペットボトルのコーラの方がコスパは良いかもしれない。

でもそれではダメなんだよ。

多少割高でもキンキンに冷えた缶の炭酸飲料を飲む爽快感は捨て難いのである。

そこをケチるようになったら人間はお終いとも思っている。

ワイは多少資産があるけど死ぬときにカネを残すことは一番愚かだと思っている。

家で飲むときは現実的な思考で業務スーパーで買える40円のコーラを飲むのだけど、倍のカネを払ってもナショナルブランドのキンキンに冷えた奴を選ぶのが至福なんでね。

それが散歩道の嗜み。

夜風が気持ち良い散歩って年間通して何回あると思う?

ワイは30回もないのでは?と思っている。100円のキンキンに冷えた飲み物を買ったところで3000円だ。大した金額ではない。

 

人間、信じられないことが目の前で起きると思考停止になる。

何も考えたくない2週間が過ぎて徐々に昔を思い出し、

そしてこれからどうしようかなぁと考えている。

未来なきボッチ系のおっさんなのに、、、、、

言うならばこれがウツ状態?そんな感じで脳みその思考停止状態であったがボッチ呑みの2杯目のレモンサワーの薄いアルコールが徐々に脳みその血液循環に効果があったのかもしれない。

 

呑み友とはアキバの飲み屋でたまに飲む関係だった。3ヶ月に1回。半年に1回の時もあったかな。飲み友は地下アイドルが好きだった。これ以上は呑み友の名誉の為に書かないけれど。

そしてワイはメイドカフェが好きだった。そんな共通点があった。しかしながら、呑み友は物欲、コレクター好きであった。仕事はフルタイムだったからお金には困っていなかったが最後に健康と命を失ってしまった。

ワイはメイドカフェの雰囲気が好きなだけで他にアキバ特有の浪費は殆どなかった。

たまにアキバドンキで買い物するくらいで。

 

つまり物欲に負けてしまえば、それを維持する為、ローンを払い続ける為に働き続けないと生活が破綻してしまう。もし呑み友が仕事をセーブしてキチンと医者に行けていれば、入院していればもう少し長く生きれたかもしれない。しかしコレクター欲、物欲がある人にとって我慢はより大きなストレスを生んでしまうかもしれない。なので人生のラットレース(仕事)を続けて亡くなってしまった、、、、

ワイはミニマム主義だからコレクター魂がわからない。でも一つだけわかることは呑み友が集めていた一番くじの外れ【ダブリ】の商品を頂いた時である。メルカリやヤフオクで売れば5000円になるのだけど、ワイがそのアニメのキャラが好きだと呑みながら言っていたことを覚えていてくれたのである。当然、最後の思い出のようなフィギアとなってしまった。ある程度の年齢に行くと共通の好きで盛り上がることが少なくなる。

なぜだかわかるか?それは居酒屋のカウンターでぼっち酒をしながら社畜のグループ呑みの会話を少しだけ聞けば自ずとわかると思う。

共通の話題で盛り上がることが出来れば人生は楽しい。

そして共通の話題に合わせる社畜の宴は虚しい。

 

今となっては最後の呑みを断らずに呑めたことがささやかな大事なひと時であったと思うし葬儀で最後に顔を見れて声をかけることが出来てよかったと思っている。

しかしながらもうこれからは彼との関係性は突然終わってしまったのでワイには何も出来ることない。

人生のラットレースを抜けられる人、誰でも孤独なラットレースから抜け出したいと考えているかもしれないが残念ながら物欲が大きかったら無理な話だ。ついでに性欲も。

確実に抜け出す方法に気づくのは同年代の過労死だったり突然死に直面することだと思う。残念ながらローンを組んで返済が20年先とかそうゆう状態なら無理な話だ。

今の生活に精一杯で振り返る時間なんてないと思う。

少なくとも夜中にわざわざ100円の自販機に寄り道し等価交換の儀式をすることができないと思う。

正確にはラットレースから抜け出すことを考え始めるキッカケが「タヒ」というものだと思う。突然、無になる。今までの色々な価値観とか、すべてキレイにぶっとぶ。

しかしながらこの資本主義の中ではラットレース場から突然、逃げ出すことは出来ない。セミリタイアが唯一の逃げる手段ではあるが計画は5-10年かかるだろう。

結局のところ、ラットレースを抜け出すにはセミリタイアへの節約が一歩なのだけど、

人生の本質を深く考えるには大きな喪失感も避けては通れないことは事実だと思う。