のんびり異世界住人の雑記

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ぼっち系からみた友達作りたい記事の意味の無さについて

友達作ること考えるよりさっさとセミリタイアすべきである

少し前のネット記事(ネットニュース)で社会人になると友達が減っていく、もしくは疎遠になっているので新しい友達を作るにはどうしたら良いか的な記事があり回答が行きつけの飲み屋に行くと友達ができるよ的な回答があったけど、正直意味の無いないなという結論を先に言っておきたい。

 

ワイはセミリタイアの系譜では稀な部類で株を売買をしながら資産を増やしていったので爪に火を灯すような極貧節約生活をしてきたわけではない。

底辺街の安い酒場にはちょこちょと呑みに行ってたのである。

底辺の客層を知っているし客層が少しマシなところに行ったところであまり意味ないのでは?と思っている。勿論、底辺街の酒場で飲んでいると多少は顔見知り的な人、いわゆる常連に挨拶くらい、カウンター席で隣に座れば雑談くらいはする関係になるかもしれないが正直、連絡先を交換するレベルってホントに稀な場合だと思う。

結局のところ、底辺~中間層レベルの酒場の話題って、もうAIで文章作った方が気が利いたこと言えるのでは?というほど、ほとんど同じで内容は敢えて言うほどではないゲスな話題が多いのである。

 

でもそんなゲスな場所でも孤独を癒したりストレス解消に呑みに来ているのだから好き勝手に飲めば良いと思うがワイが20代に行ってた店はもうかなり前に閉店してしまった。

よく行ってた店が底辺街に2-3店あったが全て閉店し、たまに行ってた店はまだ営業しているがずっと足が遠のいてしまうと今更ノコノコ行く気もなくなり呑みに行く回数はかなり減った。

 

始めの話題に戻るけど底辺街に住んでいた時、友達(知り合い)を作りたいから呑みに行っていたのではなくどちらかというと社畜業のストレスを晴らす為に酒を飲む、酒を飲むなら帰るのが楽な底辺街、どうせ飲むなら安い店の方が良いな。家で飲む為に1人分のつまみを買っても割とカネはかかるし店の炭酸ボンベでハイボールを呑むのはサイコーだからねと思っていたからである。

まあ人間観察しながら飲むのも悪くはないのですよ。

しかしながら得体の知らない酔っ払いと知り合いになりたいとは特に思わなかったし、たまに女の子も呑みにくるけど底辺街の底辺酒場に来る女はぶっちゃけ危険がアブナイレベルなので正直、やばいのである。まあそれでもたまには無料の底辺キャバクラ的な感じで楽しい時はあるにはあったし、客同士で結婚した人も知っている(今はどうなったか知らないけどw)

 

結局のところ、もし友達(知り合い)を増やしたいなら同じ趣味を持つもの同士が良いのだろうけど、残念ながら価値観が分岐し娯楽の細分化、貧富の格差、趣味にカネをかけれるほどの余裕(可処分所得)が無くなってきているので共通の趣味で知り合ってもマウンティング合戦に巻き込まれるだけかもしれない。

 

まあどうでも良い記事なのだけど、一つ言えることは社会人になると時間が限られて学生時代の友達とも疎遠になるし常に一定の場所に住んでいるわけではないから頻繁に会えないということ、わざわざ電話をするほど新しい話題もない(底辺は日常の繰り返し)、どちらかが結婚して時間、カネが取りづらくなるといった感じなんだろうと思う。

 

結局のところ、無駄にカネを使い友達を作ろうという考え方自体がマズイのではというのがワイ流の結論である。少なくともワイはミニマリスト株式投資セミリタイアといった割とニッチな思考である。今でこそ株式投資する人が増えているけど少し前はタブーであったし、セミリタイア、FIREの話題も世の中的には今もタブーなのである。そんな半社会的な思想を底辺の酒場で話しても良い事なんてないし理解はされない。

それは足が遠のいた酒場のカウンターで山奥ニートがTVに出る話をしたらすごく馬鹿にされたのでそれ以来行く気になれなかった。そうゆうものなのである。結局のところ、人の思考はピラミッド型のヒエラルキーで底辺の酒場ですら何だかんだで上下がある。

なのでそんなゲスな連中と関わる、少し階層が上の東京駅周辺の婚活女がウロチョロするような酒場でも飲みに来る面々はほぼ同じ思考なのです。

従って友達作りの記事への結論は、さっさとセミリタリア出来る程度の資産を作って、

まったり隠居して利害関係ほどほどの茶飲み仲間でも作る方が多分マシかなと思う次第である。